キリシマ屋

今のところ日記

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WordPressでブログを始めたのが5か月ほど前。始める前は方向性を持っていたつもりだったのだが、うまく書けず、何を書けばいいのかわからなくなった。とりあえず書くことに慣れたいと思いいくつか記事を投稿したのだが、いわゆる日記というやつになってしまった。「これは当初の目的と違うな・・・」といくつか日記系の投稿を非公開にした。いよいよ投稿へのハードルが上がり、この状況を打破したいと考え、日記系は日記系で別でプラットフォームを持てばいいか、と新設したのが此処である。

 

己の大雑把さにはほとほと嫌になる。本当は、もっと前にこのブログを開設できたはずだったのだが、入力するメールアドレスを間違え、再設定には12時間あけろと言われ、そこから数日が経ち、つい先ほどやっとこさ重い腰を上げて無事開設と相成った。そもそも今日も別にこれをやるために作業部屋に来たのではなく、別件があったのだが、そちらも己の雑さによりポシャり、じゃあまぁせっかく来たしとトライした次第だ。

 

書きたいことがあるというより、書くことしかできないのではないかとずっと感じている。しかしそうではないのかもしれない。己を制限し続ける。

 

ネタになりそうだなと思って書き始めたことも、いざ書いてみるとちんぷんかんぷんで薄っぺらい文章になる。自分はもっとマシだと思っていた。

 

問題としては、そういう形式に慣れていないことが挙げられるだろう。これまで文章を書くとすれば学校の作文とビジネスメールと1,2編の同人小説ぐらいだった。

そこでいきなりWordPressに手を出したのは、悪手だったのかもしれない。

 

僕は「情報を伝える文章」を書く習慣が身についていないのだろう。社説をどうこうするトレーニングなどをやる必要があるのか?

実際問題自分がどこへ行きたいのかが論点になるだろう。書きたいのか?書くと楽になれる気はする。

 

年の終わりにSwitchを買った。今はヒスイ地方でのポケモン集めに躍起になっている。そもそも自分がSwitchを買うことになるとは思っていなかった。PS5の方が欲しかったし。うちには今、Blu-rayを観る設備がないのだ。推しのBlu-rayを買うのはいいが、観る手段がない。年末に先輩に付き合ってもらってカラオケで推しのライブBlu-rayを視聴した。また禍があーだこーだで引きこもっているので、副音声を聴ける日はだいぶ先になるだろう。

 

腰痛持ちで、腰痛軽減のためのインナーマッスルと姿勢改善と減量目的でジムに申し込んだはいいものの、また社会がここまで悪化するとはな。正直リングフィットに手を出すことを検討し始めている。ジム通いを決めたときはSwitchを買うとは露ほどにも思っていなかったし。

ジムに行きたかったわけじゃなくて、無限に食欲が湧く己の体に嫌気がさしただけだった。とにかく甘いものが食べたくて、とにかくごはんが食べたくて、でもそれが純粋な食欲ではなく”腰痛で暗くなった気持ちをうまいもので晴らしたい”とかそういう別の目的を孕んだものであることに気づいて、「運動したら気が紛れて、ストレスも解消されて、腰痛もマシになって一石五鳥くらいになんじゃないの」と思ったわけだ。

 

音楽が好きで憎い。一生自分を責め続けるつもりなのだろうか。他者の二十章と己の序章を百億年比べ続けて死ぬ。

いつから無気力で、いつから虚ろだったのか。何故抗えなかったのか。何故かずっと見えない力に押さえつけられていたというか、蓋をされていたというか。それらを生んだのは己だった。しかしその事実を今も認められずにいる。憎い。

ジュリア・キャメロンの著書を少しずつ読んだりワークショップに取り組んだりしている。クリヤの概念に出会ったときは救われたように感じたものだが、それから数か月がたち、また今、立ち止まって底に沈んでいる。もはやモーニングページにすら取り組めていない。なんだというのだと、やる意味があるとは自分なりに思っているのだが、しかし冬の朝にそんなことができるか、畜生、とさぼり続けている。冬は生きづらい。しかし夏も苦しい。春は身体を壊す。

何の脈絡もなく最近「あーーーこのまま死ぬか」と思うのだが、別に本気で死ぬわけではない。やりたいこともたくさんあるわけだし・・・。ただ以前とは違う無力感がある。ずっと、このまま、このまま終わるのか?このまま終わりを迎えるなら今幕を下ろす方が損失は少ないのでは?絶対に嫌なわけだが・・・。あと70年は生きるし、21世紀にだって行きたいし・・・。

 

推しの声が好きだ。僕の最推しとなった推しの声が好きなのは当然だが、そのほかの推しの声も好きだ。逆に言えば己の声の魅力のなさをいつも嘆いている。推しの中には「自分の声はよくない」という者もいて、「「「おい!!!!!!!!!そんなわけあるか!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とオタクは荒ぶるのだが、なぜその熱意を己に向けてやれないのか??己も捨てたもんじゃないじゃないかと、何故認めてやれないのか。俺はワークショップが足りていないのか?

 

自分の人生がこのままでは詰むとわかっているのだが、結局のところどこにも行けなくてどうしたらいいのかわかっていない。憎い。苦しい。やり直したい。

彼らには例えば3年がある。活動を続けてきた3年が。僕の3年間を振り返ってみろ。嘆くばかりだ。7か月で1370hもNo-AdでYoutubeを観るな。

気色悪い。毎日毎日どうしたらいいどうしたらいいと嘆きながらゲームに逃げて、答えは出ないだろう。少しずつでも前に進んでいればこんなにぐしゃぐしゃにはなっていないだろう。己に求める理想が高すぎる。それに気づいてなるべくそこを直そうとしているのだが、一体いつからそうなんだろうな。もう頑張れど頑張れど己を責めてただただ無気力な状態を迎えて落ちる。泥臭さが足りないのかな、とは思うが。あれこれ手を出すのも大事だが、おそらく今一番大事なのは断捨離だろう。一生部屋が汚い。銀行口座が散らばっている。食も雑だ。どうやったらマシになれる?ヒスイ地方を駆け回っている場合ではない。まず作業部屋の鬼ほどある段ボールを捨てろ。段ボールカッターが届かない。段ボールが問題なのか?早く全部捨てたい、疲れた。でも捨てない。矛盾している。何か月も、場所によっては何年も散らかっている。ぐちゃぐちゃだ。捨てたい。