キリシマ屋

今のところ日記

時間について

時間は平等らしい。ほかは不平等だけど、時間だけは平等だから、ちゃんと勉強しなさいみたいなことを先生が言ってた気がする。

 

今必死に時間をうまく使おうと、日常の時間の使い方をツールを使って把握しようとしている。

 

2年と4か月。

 

2年と8か月。

 

1年と7か月。

 

僕たちは、やろうと思ったことをやろうと思った通りにできることの方が少ない。少しずつReviseしていくしかない。そのReviseができるようになるまで、案外時間がかかるものだ。

 

新しいことを始める。わやわやする。慣れる。新しいことが起こってわやわやする。何周目かに入って、問題が見えてくる。ストレスをためる。慣れたと思ったらまた新しいことが起こってわやわやしてとてもストレスをためる。落ち着いたらやろうと思っていることがなかなか進まず、落ち着くってなんだ?となってくる。ストレス解消のために現状を把握しはじめる。現状を少しわかるようになった頃、少し展望が見えてきて、新しい習慣を取り入れることに挑戦する。最初は大きく出て失敗する。挫折する。でも現状を変えたいから別のアプローチを試す。ベイビーステップで始めてみる。他者に頼る。資料をひっくり返す。進む。

 

あぁ○年前からこの人はこれを始めていて、ここにいるのだなぁ、自分はいったいなんなんだ、くそったれ。となる。でもその期間、自分だって土に埋まっていたわけじゃなくて社会をやってきているわけで、それぞれがそれぞれにしか持てない経験を持っています。うるせぇ知るか俺はこれじゃなくてあいつのが欲しいんだ!あいつのキラキラ輝く青い芝が!

 

君は曲を書いて歌ってきた。僕は土に埋まっているほうがマシなくらいの暮らしを続けていた。

 

とにかく時を遡って僕の肩を揺さぶってやりたい。「おまえ!!!!!!!!!まちがえているぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!いますぐ!!!!!!!!!やめとけ!!!!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!!やめろ!!!!!!!!!!!お前の涙が正しくて、お前の考え方が間違っている!!!!!!!!」

毎日毎日そればかり考えている、嘘、だいぶそういうことを考えなくて済むようになった。たくさんの時間を推しが上書きしてくれたし、デジタルスロットマシンにむしばまれていたし、ACTを学んだりあれこれ本を読んだりしたし、だいぶマシになった。それでもなお過去に戻って教えてやりたくなるのだなぁ。

 

過去の自分をかわいそうだと考えてしまう。それはそれで失礼なことだから、やめたほうがいいんだろうなと思う。

 

先日読んでいた本に、”出来事は3つある①自分で変えられること②自分じゃ変えられないが他人が変えられること③どうしたって変えられないこと(例:過去のこと)。”というようなことが書いてあって、「え?_!?!??!?!?!?!?!過去って変えられないんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と衝撃を受けた。当たり前のことを、分かることができていない。もうその個所を読んだのに、まだ、過去を思ってしまう。マインドフルネスで食いしばって”いま”に焦点をあてる練習をしていても、過去を思ってしまう。

 

過去の失敗から学べばいいが、そうじゃない、とにかく「あれをすべきではなかったのに!」と叫ぶばかりで、何をどうとはしていない。これは僕の大嫌いなやり方だ。僕たちは「戦争はいけません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とヒステリーを起こされるばかりで、実際何がどうなれば戦争が起こってしまうのか、そして起こさないためにはどうすればよいのかを学んだり考えたりする時間を与えられなかった、少しでも戦争の話題が出れば「ダメ!!!!!!!!絶対!!!!!!!!!」と喚かれるばかりだった、知ってるよ、だれだって知ってる、ダメなことなんてわかってるよ、でも僕たちはこの先起こりうるかもしれないそれを、なんとかして防ぐ必要があるんだ、そのためには、歴史を学ぶ必要があった、時代の空気を、世論がどうなれば、だれがどう動けば、戦争に近づいてしまうのか、そういうものを学ぶべきだったんだ。ダメなことはわかってるよ・・・。アルコール中毒者に「酒!だめ!絶対!!!!」と叫ぶんじゃなくて、互助団体を紹介してやるだろう、病院に連れていくだろう、そういうことなんだ。

 

さて。

僕は過去に帰って、何を言いたいんだろう。「そんなことはやめておけ!」ではないだろうな。今帰ればそれしか言えないのか。きっとわからないだろうな。根本はそこじゃない。

 

君はこの先の人生で一体どうありたいのか、何をやって生きていくのかをじっくり考えた方がいい。その目線で考えたときに、おのずと今の道が正しいかどうかわかるはずだ。君がすべてをあきらめていることはわかっている。君は、自分には何もできないし時が遅すぎると思っている。でもそれは、君が今かかわっているその人たちと、そして少し前に囲まれていた人間たちの刷り込みのせいで、実は人生はそうではない。信じがたいかもしれないが、君は今もこれからも自由であるべきだ。今だって本当は自由なんだ。君がしがみつきさえしなければ。本当はどうしたいのか、己の声を聴いて認めてやるといい。すべての道が閉ざされているわけではない。