キリシマ屋

今のところ日記

執筆について

先日、親族が本を出版した。読んではいない。

 

僕はいずれ、文化から離れていない広い屋敷で時折執筆して、週に二度家事手伝いの使用人を呼んで暮らしたい、と薄ぼんやりと夢見ている。僕の住む地域は文化から隔絶されている。インターネットのある時代、文化からの隔絶とは、と思うやもしれないが、インターネットなぞ関係ないのだ、田舎はこれまでずっと隔絶されてきた。

 

本を出した親族は、住まいこそ文化から遠いが文化のある土地と屋敷を行き来することが多く、なんと隔絶されていない。住まいは、屋敷と称すにはやや外観が違うのだが、まぁ、見ようによれば屋敷である。ははあなるほど、ロールモデルはここにあったか。

 

家を出る頃まではおそらく、普通とされている層よりは本を読む人間だった。幼い頃はそれが顕著で、卒業文集の将来の夢にも「作家」を挙げた記憶がある。しかし書き始めたものが完成したことはついぞ無い。今も毎日こうやって、断片を書き散らかしている。

 

瞑想のおかげか最近気づきが多く、「あぁ、高校の頃のあの同級生のこと、嫌いだったのだな」「今度会うやもしれないあの人のこと、苦手に思っていたのだな」「卒業論文を書きたかったのだな」など、ずっともやついていたようなことが急に鮮明になるというか、”腑に落ちる”瞬間が多いのだ。

 

早めに頭痛薬を飲んだのになんにも効かないどころか悪化するので今日は閉じる。