キリシマ屋

今のところ日記

016

5分の瞑想を最近ちょこちょこやっている。1年前にアプリを落としてあれこれ試していた頃よりは、日常に取り入れやすくなっていると思う。使用アプリはInsight Timer。

https://insighttimer.com/

無料でもいろいろプログラムがきけていい。最近もっぱら使っているのはタイマーで、これはいくつかBGMを選べたり開始終了のベルが選べたりする。時間がたっても、Finishを押すまでBGMは鳴り続けるので入浴時に適当に流すこともある。僕たちに必要なのはミサで、僕たちはそれのやり方を教わってこなかった。僕たちは既存の宗教を信仰しないので、バイブルも聖歌もミサも何もかも知らない。でも僕たちは生きるために宗教を必要とするので、それらを己でみつけていくほかない。ここでいう宗教はもちろん広義の宗教で、人によっては信念だのポリシーだのルーティンだのいろいろな呼び名を持つだろう。僕にとってそれを表するのに”宗教”ということばが適切なのは、それらが神聖なものだからだ。先日、何のワークショップだったかあまり覚えていないが(といっても十中八九アーティストウェイだろう)、己にとっての神の定義を見つめなおしてみたところ、神は澄んでいた。人によってはエネルギッシュで思想に燃え滾っていて人々を導く存在が神なのかもしれない。僕にとっては、ただそこにあり、灰色で、年老いた男性で、とにかく澄んでいる。僕は10代のころからバイブルを持っていて、成人するより前からそれを自分のバイブルと認めることができた。しかしそれと己の中の神の像とは直接の関係が無い。ただどちらも、僕の嫌いな世間臭さから遠いところにあるのだ。

 

今の自分はとにかく余計な感情から離れて執着を捨てたいと望んでいる。もうライバーのツイートへのリプライを見たくなどない。なるべく見ないようにしていると言いながら、結局目にしている。いらないものを持ちたくない。推しのグッズと少しの本と衣服とインターネットがあればいいのに。でも楽器もいるしSwitchもいる。実際はそんなのよりたくさんたくさんたくさん物を持っていて、何より凝り固まった思想を持て余している。仏教徒ではないのだが、悟りを開きたいのだ。以前インターネットで調子に乗って悟りの開き方を検索したら、ある掲示板サイトのようなものに行き当たり、そこではいいねボタンにあたる「ありがたし」ボタンなるものが存在していて堪らなかった。僕はそういうのが大好きだ。

 

WellBeingはどこから流行り始めたのだろうか。これは、宗教がこなせる役割ではないかと思っていて、国内より宗教色の強そうな海外からもたらされたものっぽいのは何となく不思議である。祈りの時間を私たちは必要としている。それが神のための祈りでも、家族のための祈りでも、自分のための祈りでもいい。WellBeingについて詳しくないが、やはりZenが絡む側面もあるのだろうか。

 

手帳を買う予定で、ぼんやりとほしいものを思い浮かべながらいくつかサイトをめぐっていたのだが、選択肢を用意されると「この中から選ばねばならない!」という思想に支配されることを、すっかり忘れていた。「この中からいいもの・・・」という目線で見てしまっていたが、欲しいものがないのなら無理してそこから理由をつけて買わなくていいのである。なければ作ればいいという暴論を胸にネットショッピングに挑むか、あらかじめ欲しい像をもっと固めてから臨むべきだろう。これは何も手帳選びに限った話ではなく、僕はこのシステムの理解が足らなかったせいで人生を誤っている。最たるものは職選びで、昔なかなかいい本を読んでいたのにそれをうまくいかせなくて結局就活の波にのまれて死んだのだ。その後も情けない結果が続いている。今の時代「なければ作ればいい」は職にさえ当てはまるのだから、無理に己を押し込もうとしなくていいのだ。押し込もうとしても入らずに結局お釈迦になる。はいこれだけありますよ、と提示されたもののなかから一番マシなものを選ぼうとするからダメで、そういう意味で自己分析が大事なのだとこの年になってやっと知ったのだ。過去を振り返ると憂鬱になるのでここらでやめよう。

 

ほしいものに優先順位をつけることが難しい。そういう意味ではどれもあまり欲しくないのか?ワイヤレスマウスを試したいなと思っているが、別に有線でも困っちゃいないのだ。