キリシマ屋

今のところ日記

010

「そうだ、死のう!」としょっちゅう叫ぶのはおそらくよくないことだから、今日からそういう気分に陥った時は「踊りあかそう!」に置き換えることにした。誰も僕の行く先を阻めやしない。

 

毎度のことながらグズグズ言ってたら「今上京しちゃダメなの?」と聞かれました。たしかに。何故今ではダメなのか。だれがそれを止めるのか。きっと稼げやしないだろうと思っているのだが、はたしてそうか?驚くことに派遣で検索すると倍から時給が支払われていてひぃひぃいうとる。このわけのわからないままどこかに入ったとてジョブホッパーになってしまう・・・。とびくついているが、そもそも現時点で望むと望まざるとかかわらず既にジョブホッパーだ。終身雇用時代ではないのだから、別にそこに引っかからずともいいのだろうか。何におびえているのか。ここに勤め始めるときは「いや五年もいませんて~」の気持ちで入ったが、なんだかその年数に縛られかけていたのかもしれない。「5年は飼ってもらえる・・・」飼ってもらえるといっても到底食えない分しか支給されないので、一体何なんだろうな。実家か家族と暮らしているかのどちらかでしか成り立たないだろう。わからん。一生分からないかもしれない。そしてそれを考えるよりもこの先の己の身の振り方を決めるべきだ。

 

駅におりるだけで幸せになれるんでしょ?と問われ、まったくその通りである。都会は駅広告で僕を幸せにする。一面に堂々と掲げられた推したち。動く推し。微笑みかける推し。何が悲しくて僕はここにとどまっているのか?どういうことだ?なぜ?なんの準備がいるのか?わからない、何もわからない。自分の選択で今ここにいるはずなのにこの期に及んで他者のせいにする気か?そしてまた、他者の一言でこんなに揺さぶられるのか・・・。

 

転職産業にいい思い出がないが、登録でもしてみるか。知らんけど。わからん。それもあったな。僕はもうああいった活動をしたくないのだ。しんどい。仕方ない。僕の失敗は僕によるものだ。もういろいろ学んだから、きっとマシではあろうが、でもまだ自分の振り返りが足りていないのが正直なところだ。最近はそれの不足を特に感じる。何とかして自分がなんなのかを見つめなおしたいし行き先を決めたい。行き先がふわふわ決まらないままただ毎日「このままじゃいやだしぬ」とぐちぐちへばっていてもどうしようもない。

 

時間はたくさんあった。考える意思が足りなかったし、手法を知らなかった。手法を学ぶという発想にすらいたらなかった。人生や社会が何であるかをあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ