キリシマ屋

今のところ日記

いらだちについて

とにかくイライラしてしまう。ほんの少しのことでいらだってしまうと、相手にももちろんムカムカするが、何より余裕のない自分がうざったい。くそったれが、くそったれが、くそったれが・・・。

こういう時の昇華に、人は何を選ぶのだろう。ようやっといらだちがおさまりかけたところで追撃があってキレたので、もう本当に最悪の気分なのだ。くそが。毎日を完璧にこなせない自分がくそ。弱気で、「100点じゃなきゃ意味が無い」って思い込んでる自分がくそ。これもやりたい、あれもやりたいとほざいて何もやらずに今日が終わるのくそ、くそったれが、今日中にやらなきゃいけないこと、どうするつもりなのかわからない、くそ、くそが、書くのが最もよくないのかもしれない。気をそらすのが最適解なのかもしれない。楽器を触るつもりだった、でも書いていない自分にも腹が立っていたので取り敢えず書いてからにしようと思った。

 

本当は、

 

いつも「本当は」「本当は」と前置きしなくちゃ話せなくなっている。くそったれだな。

 

終わらない。この焦燥感に向き合わずに、空白を埋め尽くすのが何よりよくない。自身が一体何に焦っていて、何をすればそれが解消されるのか、まともに考えずに週末が終わる。最悪最低。来週は予定が入っていてもっと時間が無いのに、一体どうするつもりなのか。こんなので生きていけるのか。いよいよ苦しい。いらいらする。せっかく今日は長髪イケメンのキャラクリで幸せになっていたというのに。むしろそれしか今日の成果はなかった。くそが。余裕がねぇんだよ。

 

素材は取りおえたので、それをまとめたい、というかまとめなければならない。そうやってぐちゃぐちゃになる。

先延ばしについて

一生先延ばしをしてしまう。無限に先延ばしだ。嫌なこと、少し面倒くさく感じるものを先延ばしして、さらに面倒くさくなる。

 

しかし今日、躁気味の気分が功を奏し、なんと数週間面倒くさがっていた連絡をしたのだ!とっても急ぎという仕事ではないがいずれはやらねばならない仕事を、すこしずつこなせるようになっている・・・。天才である。

 

そして今月末にやっと免許の住所変更をすることになりそうだ。

楽しいことがあると、やる気が湧くものだなぁと驚いている。何をきっかけとしていたか分からないが、急に「書きます」と宣言をしたり実際に書いたりしている。信じられない。おそらく僕自身はある程度社会に縛られる方が生活が安定していいタイプなのだろうが、性根は完全にニート適性ありまくりなので、悩ましいところではある。

 

久しぶりに推しの歌を聴いている。本当は毎日声を聴いているのだけど、この歌をずっと聴いていなかった。びっくりするほど好きだ。

 

書きたいし弾きたいし外に出たいし歩きたいし歌いたいし歌を聴きたいし、あと忘れているが読みたい。ほかにもたくさんある。集中ができない。この勢いの波にのまれれば、嫌なことも面倒なことも全部全部一度に片づけられるのでは?ところでいつ部屋の片づけをするのでしょうか・・・。早くミニマリストにならなければ、部屋の片づけにかけるコストが高いままで時間の無駄だ。今こうやって作業している机もしっちゃかめっちゃかになっている。物の住所を決めていない。決めたつもりでいて定まっていないものもある。勉強したい・・・。語学をやりたい気持ちはあるのに、追いついていない。最近はインターネットも減っているし、いい波が来ているとは思うのだが。いかんせん睡眠がバグるのと、それと労働が、ね・・・。僕はいつも労働のせいにします。それのおかげで生きていられるのになぁ。せっかく大好きな歌を大音量でイヤホンできいて、スマホをFocusモードにしていたのに、有線でつないでいることもあって視界に入っていたからか通知をみてしまった・・・。最近は無線イヤホンで音楽を聴きながら、スマホは引き出しにしまっておくのにハマっている。視界にあるだけで集中力が下がるらしいですし。本当はこうやって音楽を聴くのも集中力が散るらしいが、知ったことか。もっともっと書きたい。変な感覚だ。プレイリストの作成をしなければならない。こうやって都度再生ボタンを押しているようじゃあ、いけない。たくさん戦いたい。負けたくない。やっと、自身の人生が、10年が無駄ではなかったのかもしれないと思えるようになってきたのはうれしい。

ハイテンションについて

理由のないハイテンションがある。今まさにそれに陥っている。昼間、職場にいるときからハイだ。こういった波を把握するために、毎朝出勤後に「躁」「鬱」を1~5でつけている。これは、双極性障害の方のブログを参考にしたためこの名前になっており、自分は厳密にはそうではないのだが、一文字で簡単だし自分に伝わればいいので使用している。

 

嬉しいこと、辛いことがあった。でもそういうの関係なくハイだ。ハイな時に、誤った判断をしたくない。この無敵感を、何かに活かしたくてたまらなくなる。コーヒーも飲んでいないのに本当になんなんだこれは。瞑想きかなかった、というかガイドなしではできない、ガイドがあってもちらつきがひどかった、今必死に書いている、普段以上にぐちゃぐちゃになっている、自分が行動したからそれにレスポンスがきているのに、やったーとなったりならなかったりあああああああって感じで、今必死で書いていて、大好きなアーティストのプレイリスト、毎日たくさんきいてるプレイリストをきいていてもなおだめだ。打ってないタイミングでも指がそわそわそわそわ動く。そして、あああああBluetoothをつなぐやつほしいよう。欲しいもののリストアップがまだ終わっていません。たくさんやりたい、全部やりたい、でも自分に自信が無い、いつも見積もりが甘いです!うぅん80・・・。明日休んじゃダメか?!そんなすぐに休めるんだったら引っ越しの手続きの諸々とかあああじゃんね、他のことをする前にここで一つ書こうと思ったけど、んなあああ自動書記どころの騒ぎじゃない、あぁ好きな曲を弾きたいんだが、音を取らなきゃいけないし、それをギターでどうやって追えばいいのかわからない、音は、ピアノがあればとれる、明日とろう、スマホでピアノは不便すぎる。タブレットほしい!もっというとmidiキーボードほしい!使い道よくわかってない!!!こういう日!こういう日のTwitterほんとひどかったんだと思う!でもほかに何もできやしないじゃん、あぁハイに輪をかけている。たくさんたくさんたくさんある、詰め込みすぎか?でも親に似たならこれが合うであろうな、でもハイの時に全部決めてはいけないと思う。!何か本を読めるか?読めないだろうか。死ぬほど弾きたい。でも今日弾くのはもう終わりってした。どうやって生きているんだ?寝れるだろうか。睡眠薬を飲んでいるんだから寝れるのは寝れるだろう。最近早く起きちまうのはこれのせいか?ブランディングを学びたい。言語が詰まっていてよくない。この暗闇の中散歩に出たい。危ない。夜分遅くに田舎の外歩くと詰みますさよなら。敷地内でも無理であろうな。虫が嫌だしやめよう。この分量が朝出せればなぁ!!!額面を12で割ってほしい。たくさん、旅の記録が読みたい。あの子の旅の記録が、日記が読みたい。読ませてほしい。僕たちは・・・。

もやつきについて

最近なんかうまく行って無いと感じる僕の書き出し

 

1.今回挑戦するつもりだったことに、するかどうか悩んでいる。

準備のいることで、手を挙げるか悩んでいる。僕のHeightの中に入ってきていると思ったのにそうではなかったのかもしれない。

 

2.動画編集をいくつかやるつもりだったのに、そっちのけになっている。

そもそもYoutubeへのログインが減っている。一概に悪いと言えないというか、いいことでは?

 

3.仕事が嫌すぎる

えーん

 

4.上記とは別に新しく仕事を引き受けたのだが全くの未経験の分野で、一体どうなっちまうんだと思っている。

 

5.配信ライブに出る予定だが、進捗がまずい。

他の曲にしとけばよかったのかな・・・。

 

6.図書館で借りた本を読めていない。

これが一番引っかかっているのか?

 

しかしまぁHeightの各項目を見ると保留の一件と語学以外は全部進行中ではあるんだよな、止まっていない。どれも時間がかかるからここに置かれているわけで、進んではいるし、昨日だかなんだかに見返したときびっくりしたんだよな・・・「俺やってんじゃん・・・」ってなった、そもそもダブりがあるのかもしれない。

 

6.本を読む→今日できる

5.配信ライブ→今日も練習してくれ

4.新しい仕事→今日も進めてくれ

3.→えーん

2.動画編集→おもろいっちゃおもろいが、今もっと他にやるべきことがあるような・・・と思っている。Heightの整理というか、優先順位があやふやなのか。”どれが欠けても”というものは人生にあるとは思うが、それはそれとして優先順位はあるはず・・・。

1.挑戦するか→これなんで迷ってんのかわかんねぇ・・・。手を挙げればいいのでは。

 

 

3.はえーんとか言って現実逃避してないでちゃんと対策打たないと最も大きいストレスになるんだぞいい加減にしろ。もう無収入は嫌だ

スケジュールについて

スケジュール難しくないか????????やったことないことにチャレンジしようとしていて、それについて、似た作業にかかる時間で見積もりを出してみたが、

 

あー、トリガーなし、区切りなしだからか。

 

これにこれくらいかかるなら、この日数だろうと見積もってから、いざ作業をする日としない日が出て計画が崩れるというかなかったことになって最後の最後に泣くのだが、トリガーと終わりを用意してやらないといけないのか。

終わりは時間の終わりという、自身の体調や気分に左右されないものがいい。

僕の場合は25分だ。25分を一区切りにする。

トリガーは夕食後に自室に戻ったタイミングだ。スマホを触らずそのまま机に向かう。タイマーを25分にセットする、おわり。

 

夕食は毎日摂るからちょうどいいだろう。眠いな・・・。

 

失恋について

僕の大好きなアーティストがサブスクに新たに楽曲を公開したことに際して。

全然元気じゃいられないな。びっくりするくらい好きだな・・・。

 

さて。失恋というものをついぞ経験したことが無い。”破綻”を一度だけ経験したが、あれをいわゆる失恋と呼ぶのはいささか無理があるだろう。

 

18、9の頃開演前に会場で流れる音楽の中で”どれだけ離れたなら忘れられるだろう”という歌詞が妙に頭に残り、それまでも聴いてきた曲だったのに、「この感覚をこの先知ることはできるのだろうか」とそこから時折考えてしまうようになった。

 

僕はこの曲は二人の同意で別れたものであろうと考えていて、納得したうえで別れたのにそれでもやっぱり忘れられない、という感情をうたったものかと思っている。

 

僕の経験した”破綻”は本当に憎んでも憎みきれない、相手も自分自身も憎くて仕方ないという傷が今も疼く情けない結果になっている。この先これを統合していくつもりだが・・・。

 

失恋というと、前述の「お互い納得したパターン」に加え、「一方的に振られたパターン」「振った側だが引きずっているパターン」「思いをつげられぬまま終わったパターン」などがイメージされる。つまり僕の思う失恋に、「は?!なんだてめぇふざけんな失せろ!」と言い捨てて去っていった恋は、含まれないのだ。いわゆる”失恋ソング”にそういうものはないと認識している。

 

今回僕たちが経験した別れは失恋ではない。僕たちは納得していない、もちろんいいオタクであろうと努めてはいたしそういう意味では納得して送り出した形で終わらせたかった、ただ心の根からそう思っているかどうかは個人差があろう。ずっとずっと、理解がある、そしてあなたを傷つけない存在であろうと無意識に行動していた。最後を迎えるにあたってファンレターを書く時でさえその態度がでてしまい、それに気づいて「あぁもう全部書いてしまおうこの愛を!!!!!!!悔しさを!!!!!!!!」と思ったものだが、結局書き上げたものにそこまでのすべての思いを載せられたかというと、決してそうではなかった。昨日も歩きながら「あぁ、これファンレターに書いてなかった書こう」と考えてから「もう書けないんだった・・・」と呆けてしまった。

 

限られた時間の中で、君が大切で僕たちは君を愛しているってあの手この手で伝えたつもりだ。できることはすべてやって、最後を迎えたつもりだ。君と別れてからも君の声を聴いているし、再生リストに入れていた一つが非公開になっていて大パニックに陥りながらもTwitterで検索して誤BANを知って笑ったし、受注販売のグッズを届くのを楽しみに待っているし、こうやって、結局何を言いたかったんだろうなと思っている。

プログラムについて

紆余曲折を経て、晴れて新卒採用で入社した一社目がシステム開発をやっている会社だった。あの会社の悪いところを知るより前に辞めてしまったので、今でも「あぁあの会社に残れていたら・・・」と思うことが多い。しかしもう道は違えたわけだし。

 

プログラミングを仕事にするとなると、納期とは切っても切り離せない関係になり、残業待ったなしになるのはなぜなのだろうか。”そうじゃない会社もあるよ~”じゃないのだ・・・。

 

本質を知る前に辞めた身のためあまり、詳しくはわからないのだが研修でやらせてもらった範囲では動かすものを作るのが楽しかった。うまくいかなくてこねくり回して、何故かトイレで解決策を思いつくのである。これが物書きの、シャワーでいいアイデアが降ってくる仕組みかと。

また、”データベースとは”、”一意性とは”、やらを学べたのは本当に助かった。おそらくこの先の人生で感謝しながら生きるだろう。直接仕事に活きるかは知らんが、少なくとも僕の人生の改善に役立っている。

 

もう一つやってよかったなぁというのは2年ほど前のニート期間だ。あの頃、本当におしまいになってしまっていて、せめてもの思いで英語の勉強をしていたのだが、あの頃朝から晩まで英語のことを考えていて、というのは嘘でアニメもみていたが、なんにせよ”どうすれば語学を習得できるのか”を調べることに躍起になっていた。その際にあれこれ見た習慣化の方法など、そういう考え方が今に役立っている。まだまだ勉強と実践が足りないが、そういう概念を少しでも知れたのが大きい。これが、「知る」ことの利点だ。そういう分野がある、そういう存在がある、と認識できるだけで、次のとっかかりができる。詳しい人に聞くでも、本を読むでも、検索するでもよし。概念を知れば検索ができるのだ。それが本当に強い。

肝心の語学はというと、推しにドはまりしてからさっぱりなので、おそらく力が落ちているだろう。どうせ長い道のりだから、あせりはしない。そもそも始めた理由が「どうしよう」だったから、今は、やることがたくさんあるから、無理をしなくていい。またやりたいときにやればいい。僕には余裕がある。いつも余裕がないが。

 

たくさんたくさん書きたいし、何とか形にしたいと思っているけどなんとも、何を言いたいのかわからなくなってくる。自動書記に近い形で書こうのコーナーではあるが、夜はジャーナリングに向かぬというし。