キリシマ屋

今のところ日記

014

死への願望すら我々は労働により誤魔化している。忙しくて死ねないまたは金が無くて死ねないもしくはその両方により死ねない。

 

労働により誤魔化していないのであれば休日の死にたさの説明がつかない。幸せな人生を送っている。人間関係に問題はないし、仕事にも就いているし、愛する推しがそれぞれいろんな方面で活動を頑張っていてそれらを我々に届けてくれているし、一体これ以上何を望むことがあるのか。

しばらくぶりにバッハを聴いている。おそらくはYoutubePremiumに入る前、「一般会員なのに広告なしでこれが見れるのか?!」とはしゃいだのが最後だから8か月ほど前ではなかろうか。目についたヴァイオリンコンチェルトを流しているのだが聴きたいのはこれではない。そもそも瞑想時のタイマーのバックグラウンドにチェロと思しき音がしていたのでチェロが聴きたくて、でもどこで聴くのが最適解か分からなかったからなじみのあるチャンネルを探しただけで、今日はバッハでなくともよい。

 

こういう時間が一番イライラする。普段自分がプレイリストの整備を怠っているせいで聴きたいものに最短距離でたどり着けない。検索するところから始まる。もっとちゃんと聴いて自分好みに諸々カスタマイズすべきだ。馬鹿の一つ覚えで同じチャンネルをきくな、AppleMusicでjosquindesprezと打つな、探せ。楽器版アキネイターを寄越せ。嘘。自分でやれ。もともと自分の好みを大雑把にしろわかってはいるのだから、ちゃんとシステム化していないのが悪い。頭が痛い。先週から胃腸が狂っていて、本当に具合が悪い。おそらくは今週のかったるい予定が終わるまではこの調子なのだろう。

 

iPhone13に乗り換えて粛々と原神に挑んでいるのだが、こんなにワールドが美しかったか?永久に低設定で挑んでいたせいで何も享受できていなかった。璃月の空気が本当に好きだ。ゲームの世界で「ここに住まわせてくれ」と望んだのは初めてだ。そもそものゲーム体験の少なさには目をつむってほしい。これがいずれVR展開されるのか?2か月ぶりにログインしたらロゴもHOYOVERSEなるものに変わっていたし・・・。

 

バロックより前の音楽をもっと聴こうといいながらVOCALOIDをきいている。読書が特別な行為になってしまったのがこの人生の悲しむべきことなのではないだろうか。「本を読むことはいいことだ」「ちゃんと読まなきゃ」という思考を捨てたい。小学6年生の頃に先生に配られた”勉強時間記録用紙”は、30分でひとマス塗っていい仕様だったのだが、その30分には読書も含みますという決まりごとがあったので「ウケるwwww」と言いながら塗りつぶしまくっていた。

 

スマホしか勝たんの気持ち。この死にたさの理由を見つけて撲滅して無事に21世紀までたどり着きたいのだが、なんともうまく掴めない。ホルモンがどうの脳の物質がどうのというのであれば薬が効くべきである。過食がやめられない。しかし”食べたい”とはまた別の思考で食べているので、これまでの過食の方がましだったのかもしれない。いよいよ何を食べてもどれだけ甘くとも気が晴れなくなりつつある。当然のことだ。根本原因を解決することなく食に逃げ続けている。すべての問題は暇から生まれている。今日休日を取っていなければここでこんなにぐちゃぐちゃ悩むことなく仕事のことで悩んでいたし、食が云々言わなくて済んだ。暇だから、何をしたらいいかわからないだのやることが溜まっているだの余計なことを考える。そろそろ転職するべきなのかもしれない。もしくは勤務形態を変えてもらう。このままでは埒が明かないことは明白だ。もとより複職というやつをこなすつもりだったのだが、その器用さと勇気がまだ足りないようで、それなら今の仕事の時間を増やすしかないのでは。しかしそれは想像を超える負荷であろうな。

 

考えずにここまで来てしまって後悔したから、これからはたくさん考えて行動したいのだが、そういう「考える」とは別の些末事に気を取られていて本末転倒になっている。

 

書くだけまし、本当か?


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