キリシマ屋

今のところ日記

007

metaverseに入ってみたいmetaverseに入ってみたいmetaverseに入ってみたいmetaverseは「入る」で合ってるの?????

 

新しい技術に触れたいvs最近ハマりかけてる某Vtuberアーカイブをみたい勝者アーカイブみたいなことなってる。びっくりする、1年ほど4人の推しを推してきたのだが、ここへきて彼らよりも先輩のライバーの動画をここ最近見ていて驚いています、彼はずっといたしイベントで見たり切り抜きで見たりしていたのに。面白いんだよな、知ってた、いや、知らなかったのかもしれない・・・。

 

語学への躓きを、「新しい知識をその言語で学ぶ」の方向へ進むことで解消しようとしている。正しいのかはわからない。それらはもっと上級者が行うことなのかもしれない。そうはいってもそれが来るのはいつ、といった感じなので試しに知識目的で記事を読んでいる。

 

結局、「知りたい」「わかりたい」という欲が一番の原動力になるのではないか。そもそも自分が「知っている状態が”気持ちいい”」タイプのオタクであるせいかもしれないが・・・。

 

知識に対する欲がおそらく人より強い。知っていることを気持ちよく思うどころか、目の前に知らないことばかりが転がっている状況に追い込まれるとめちゃくちゃ気持ちよくなる。知っている状態が気持ちいいくせに何故知らないことだらけで気持ちよくなれるのかというと、未開拓の土地が広がっていることに気づくからだ。

 

歴史についてはずっと気持ち悪い。本来であらば高校時代にそれらを学び終えて、「知っている状態」にたどり着いて然るべきだと思っているからだ。知っていなきゃいけないと自分が思っているのに、知らないままなのが気持ち悪い。でも今更ゼロから学ぶには知りすぎていて、未開拓万歳!の興奮が無く気乗りしない。

 

長年オタクをやっていて、有名どころのアニメは別にわざわざ意識しなくともキービジュとタイトルでなんとなく「あーそんなのあったわ」となるのだが、だからこそdアニメでタグをたどっていったときに全く知らない作品に出くわすと「うわあああああ知らねぇええええええやったーーーーうおぉおおおおおおお!!!!!!!」となる。僕がdアニメを礼賛するのは、作品数の豊富さからだが、それはしかし純粋に「作品がたくさんある」ことに対してじゃなく、「自分が一ミリも見たことも聞いたこともない未知の作品に出くわすことができる」ことに対するものなのかもしれない。

 

他者が知らないことを知っていたいという欲がある。所属ライバーの一覧を見て、もう知らない国内勢はいない。最低限一人一言言うことができる。しかしこれが1年ほど前、「あらかた見覚えあるけど何人かマジで全く見たことない」時点が、めちゃくちゃ気持ちよかったことをたまに思い出す。未開拓の土地があったのだ。

 

”知っとかなきゃ”という、己に対する呪縛を捨てよう。それらが己の人生を滞らせていることは間違いない。僕はもっと学ぶことや知ることがある、その辺のスタンダードは他者に任せて知りたいことだけ知っていけば、結果的に知っとかなきゃいけないこともカバーできるかもしれないし、何にせよ知識の絶対量は増えるだろう。知識が多いことがえらいとは思わない。僕の場合はただ自分の快楽のために知っていくのだろう。