キリシマ屋

今のところ日記

003

散歩したい。午前中に少しだけ歩いた。そういうのじゃなくて、長く、知らない土地を歩きたい。目的も、距離も、所持金も、時間も気にせず1時間くらいふらつきたい。きっとその体力は無い。

運動習慣がないことが様々な不調を呼んでいるのであろうことは前々からわかっているし、一念発起して散歩の頻度を上げて距離も伸ばすつもりだ。

歩く瞑想。もう長い間、寝るにも起きるにも飯を作るにも外を歩くにも音が一緒にあって、音なしでは何もできなくなっていて、4連休の3日目の夜にしてようやっと音を切って、ワークショップをやって、それから今日はほとんど音が無い。左耳が痛む。神経痛と同じものなのか、別の要因によるものなのか判別できずにいる。

書かなければ書けるようにならないと思う。弾かなければ弾けるようにならないのと同じで。このまま一生思うようには弾けないのかなと、思うとおりに弾けるようになるのには、どれくらい時間を要するものなのかなと、時折考える。弾ける曲を弾くんじゃなくて、弾きたい曲を弾きたい。成しえない。ステップの合間に虚無が横たわっている。

1年ほど前に海の物語を書いていて無事頓挫した。何故完結できないのか。

結局のところ、序章にいる自分を認めてやることができず、いつも20章を見上げて嘆いている。序章があって2章があって3章があってその先に20章があることを、さっぱり理解できない。一足飛びに目的地にたどり着きたい。大抵のヒントはジュリアが述べてくれていると改めて昨夜著作を読み返していて感じた。ただ、思うほどに自身に即効性のあるものではない。何も策を講じないのに事態が好転して綺麗さっぱり解決できると夢を見ている。左耳が痛む。健やかである方がいいというのはわかっているが、何故か不健康に歩み寄る。健康が目標ではない。あくまで自分が望むとおりに生きるために、健康が必要なだけで、というか不健康に己の生活を邪魔されたくないだけで、いつも「なぜこれらの人のように自分は生きられないのか」と嘆いて、そこでいつも終わる。そして努力のできない自分を責める。なるべく俯瞰で、メタ的に己を観察しようとしても難しい。結局「彼らと自分は違う(憎い)(羨ましい)(自分にだってとっかかりがあれば)」と呪いを吐いてまた逃げる。

そもそも今の状況を打破したいという思いがいかほどあるのか自分でもわかっていない。このままは嫌だと漠然と思っているが、優先順位を決めかねて、最終的には「めんどくさい」の一言ですべてを先延ばしにして「あぁまたやれないのだな」と呆れる。

 

暗くない話をしよう。衣食住があり、薄給ながら仕事もあり、家族は健在で、連絡をとる友人がいて、わずかばかりの学がないこともなくて・・・。

 

いつも以上に憂鬱が続く。普段自分を誤魔化している糖質が足りなくて、寒くて、甘いものを摂取しなければ癒されないと思い込んでいて、読みたかった漫画の新刊を買って読んでもなお気が晴れなくて、できないことばかりを数える。

 

Youtubeで「できるようになったことを数えましょう」と学んだし、実際昨夜それらを書きだしたのに、今日また落ち込んでいる。語彙が増えたつもりでいるが然程でもないなと悲しくなる。

勉強をしていて、「話せるようになるためには話す練習をするしかないな」と感じて、それは他の技能においてもそうで、やらないとできるようにはならないのに、いつからかその過程をすっ飛ばすことばかり考えて、頭でっかちで、効率がどうのと言って、肝心なものを得ることができない。

昔以上にネガティブ思考になってしまった気がする。別に、甘いもので気が晴れるのならそれでいいのではないだろうか。何を悩んでいるのかはよくわからない。おそらくいくら食べたところで根本が解決しないことが問題なのだろう。

白黒思考だのべき思考だの、知ったときは「なるほど~」と言ったものだが、うまく呑み込めてはいないのかもしれない。

この先一生、「自分で自分を認めてやる」という難題に取り組んでいくことになるのか。

理想が高いのだ。「このくらいできて当然なのに、なんで自分はこんな簡単なこともできなくて、己は大きい手柄を持つはずの人間なのに、こんなちんけなものしか手元にない」早く自分に対して「え?!!?!?!?!自分よくやったな!!!!!!天才じゃん!!!!!!!!!」と言ってやりたい。ただし何もしていないのだ。おわり。いつもここで終わる。

自分自身を子供のようにほめるといい、とどこかで読んだことがある。昨今の「生きててえらい」に薄っすら鬱陶しさを感じている身としては、納得できる言い分だった。子供であればどんな小さなことでも褒めてやるもので、たとえば初めてシャンプーハットなしでシャンプーできたとか、本当に些細なことでも褒めてやるとは思うが、逆に言えば「生きててえらい」とは子供に対して言わないものだ。

 

気が狂いそうである。漫画作戦も失敗し、いよいよとびきりのスイーツを買いにコンビニまで自転車を走らせねばならないというのか。どれだけ食べても満たされない気がする。食べて満たせる類の欲求じゃないことが分かっても、その先どうすればよいのか分からず行き詰っている。10000000億年くらい行っていない回転ずしに行きたい。鰤とサーモンとパフェが食べたい。

自炊はメンタルにいいらしいが、皿洗いが死ぬほど嫌いでも自炊はメンタルにいいのだろうか。先月だか先々月だかに何を思ったかパン作りに踏み切り、たいそううまい焼き立てパンを食べたのだが、うまいと分かっていてもなかなかやる気が出ない。料理やお菓子作りが日常生活に溶け込んでいる人生はとてもいいと思う。名前のない料理をたくさん作れるのもいいと思う。何故何もないところでつまずいているのか。”生活は醜悪”と訳の分からない持論を振りかざしていた学生時分よりだいぶ丸くなったつもりでいるが、結局は地続きの人生で未だ生活様式に悩み続けている。

ピカピカのお部屋でふかふかの布団で眠る方が絶対にいいのに、実際は段ボールまみれで服塚が不定期に移動する家で暮らしている。

菓子パン10個大食い企画でもやってやろうかというくらい食べあさりたい。過食は己にとって良い習慣ではありませんよの文章を読んだばかりだ、知っている。いつからこうなってしまったのか。もちろん小さいときから祝い事ではケーキをウキウキで食べていたが、こんな、こんなのじゃなかった。毎日甘いものなど食べていなかったし、お菓子を食べる量も人と比べて多くはなかったし、人より痩せていたし、どこかで箍が外れるまではマシな食生活だったはずだ。別に酒もほとんどやらないし、本当に、なんなんだ・・・。

食べることでしか癒せない時期があったのだろうという自覚はあるが、もうその時期は終わったし、今はもっと他に方法があることを分かっているはずだ。実際はわかっていないのかもしれない。打つ手がない。甘いものを食べるまではずっと甘いものを食べたい。不必要に避けすぎているのかとも思う。わからない。窓の外を見ていないのだが、自転車が出せないほど雨が降っていることを祈るしかない。